2007年05月31日
真田長谷寺
真田幸隆、幸隆夫人、真田昌幸の墓がある「長谷寺」です。
中央が幸隆、左が夫人、右が昌幸の墓です。
長谷寺へ行くには、真田氏本城跡から、県道真田東部線を北に向かいます。
道路は広いですが、アップダウンを何度も繰り返しながら、坂を上っていきます。
やがて右手に長谷寺0.6kmの看板が現れるので、右折すると・・・
激坂!!の向こうに「長谷寺」はあるようです。
真田に入ってから、上り坂が続いたので、この坂の途中でとうとう自転車を降りて、押し歩き・・・。
広い敷地のお寺に到着です。
入り口の石積みに歴史を感じます。
ここは「、しだれざくら」がきれいな事で有名なお寺、もうすでに散り始めですが、花びらが少し残っていました。
とりあえず本堂で参拝を済ませ、その奥にある幸隆のお墓に向かいます。
大きな杉並木の先に、真田幸隆とその夫人、幸隆の第3子昌幸の墓があるのです。
真田幸隆は海野氏とともに海野平の合戦で、武田・諏訪・村上連合軍に敗れた後、上州に逃れますが、その後、山本勘介の仲介で武田の家臣となり、再びこの真田の里に帰ることが出来ました。
その後、村上義清の砥石城を落城させましたね。
そして子の昌幸は、あの徳川軍を少数の軍勢で2度も破ったことで有名ですが、その後、関が原合戦で敗退し、九度山に流されています。
この後は、幸隆の長男「信綱」夫妻と次男「昌輝」の墓がある「信綱寺」へ向かいます。<続く>
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